東京地方裁判所 平成7年(刑わ)2191号 判決 1996年6月06日
主文
被告人を懲役四年に処する。
未決勾留日数中一五〇日を右刑に算入する。
理由
(犯行に至る経緯)
被告人は、昭和四四年四月から第二東京弁護士会所属の弁護士として、関係人の依頼により訴訟事件その他一般の法律事務を行い、これに付随して金銭、有価証券の預託を受けるなどの業務に従事していた者である。
被告人は、弁護士登録してしばらくしたころ、東京都国分寺市内に自宅用の土地を購入したのを皮切りに、その後多数の不動産やゴルフ会員権を次々に購入し、さらに、平成元年ころからは、株式投資にも積極的に手を出すようになったが、これらは返済能力を十分に考慮しないままに、土地や株式の値上がりをあてにしてなされた銀行やノンバンクからの借金によるものであったため、株価の低迷等の影響もあって、平成二年ころには、利払いに追われるようになり、借金の整理を試みたものの到底及ばず、これら金融業者に対し二一億円を超える借入債務を抱え、多数の消費者ローン会社等から一〇万円単位の金銭を借り入れて一時しのぎをするまでの経済的苦境に陥っていた。
ところで、被告人は、そのころ、Aらから、マンション建築等に関する資金調達の仲介、建築工事請負業者の選定及び工事請負契約締結の仲介等の委任を受け、Aらがマンション建築資金その他の用途に充てるために銀行から借り入れた金員を保管していたが、平成三年ころ、これを自己の借金の返済等に費消し、建築業者に対する支払が滞るなどしたところから、平成四年六月には、Aらから所有不動産に対する仮差押えを受け、更に同年七月には、所属弁護士会に対し懲戒を申し立てられるまでに至った。そのため、被告人は、弁済のために、平成五年二月、Aらに対し、額面額合計一億二二二六万円余の小切手四通を振り出したが、決済資金の調達が間に合わず、不渡りとしてしまったため、Aらから小切手訴訟を提起された。被告人は、右訴訟の過程でAらに対して合計八三〇〇万円を弁済するとともに、平成五年一二月二七日、Aらに対し、預り金の返還債務等の残額として五二〇〇万円の支払義務のあることを認め、平成六年一月末日限り二五〇〇万円、同年二月一〇日限り二七〇〇万円を支払うこと、被告人が支払を完了したときには、Aらは、被告人所有土地に対する不動産仮差押えの申立及び弁護士会に対する懲戒申立を取り下げること等を内容とする裁判上の和解を締結したが、これら和解金の支払のための十分なあてはなかった。
また、被告人は、昭和六三年ころ、B子らから、建物買取交渉の委任を受け、その代金について相手方弁護士と折衝していたところ、平成二年一〇月ころには代金を一三〇〇万円とすることで弁護士間において合意ができていたのにこれをB子らに報告せず、建物の代金や税金などで四五〇〇万円が必要であり、そのためには借金をして金策をしなければならない旨申し向け、平成三年一〇月一日、B子らに金融業者との間で同額の金銭消費貸借契約を締結させた上、金融業者から被告人が受領した金員のうち四三〇〇万円を前記マンション建築業者に対する小切手の決済のために費消するなどした。そのため、被告人は、平成五年六月ころ、B子らから、詐欺または業務上横領の事実で検察庁に告訴されるとともに所属弁護士会に対して懲戒の申立をされ、更に平成六年には、預り金の返還訴訟を提起されるに至った。そこで、被告人は、平成七年八月二五日、B子らとの間で、同年一〇月五日限り三〇〇〇万円、同年一一月八日限り二五〇〇万円を支払うこと、第一回目の支払を行えば、B子らは検察庁に対する告訴を取り下げること、右各支払を遅滞なく完了した場合には、B子らが弁護士会に対する懲戒申立を取り下げること等を内容とする裁判上の和解を締結せざるを得なかったが、前記Aらとの和解の場合と同様、履行のための十分なあてはなかった。
(罪となるべき事実)
被告人は、前記のとおり弁護士業務に従事していたものであるが、
第一 株式会社東海銀行清水支店から不動産及び株券を担保に融資を受けたCから、同支店に対する同人の残債務の減額交渉等を受任し、Cが換金後代金を直ちに債務の弁済に充てる約束のもとに同支店から受け戻した担保株券である明治乳業株式会社の四万株の株券及び千代田化工建設株式会社の二万株の株券を、平成五年二月一三日ころ、Cから受け取り、同人のためにこれを業務上預かり保管中、別表記載のとおり、同年二月一七日ころから同年四月一九日ころまでの間、前後五回にわたり、東京都台東区《番地略》所在の株式会社甲野短資事務所において、自己の借入金返済資金を捻出するため、同会社から合計四九五〇万円の融資を受けるに際し、ほしいままに、右株券(時価合計六九〇八万円相当)に譲渡担保権を設定して同会社に引き渡し、もって、横領し、
第二 前記Aに対する和解金の支払に窮し、D子から、同女所有にかかる丙川タイヤ工業株式会社の株式二〇万三〇〇〇株を同会社の関係者に売却する交渉等を受任していることを奇貨として、同女から右株式の株券を騙取しようと企て、平成六年一月二七日ころ、東京都港区《番地略》所在の株式会社乙山・カンパニーに電話をかけ、同女に対し、事実は既に右株式を丙川タイヤ工業株式会社取締役Eに売却し、株券の引渡しを合意済みで、株券と引き換えに受領する代金を右和解金支払の用途等に費消する意図であって、同女のために預かり保管する意思がないのに、同女のために保管するかのごとく装い、「株券の確認をしないといけないので、至急持ってきてほしい。近々、先方からはっきりとした回答が来るのでその前に確かめておかなければいけない。」などと嘘を言い、同女をしてその旨誤信させ、同日、東京都港区《番地略》所在の丁原法律会計事務所において、同女から、前記二〇万三〇〇〇株の株券(売買価格七六七三万四〇〇〇円相当)の交付を受けて、これを騙取し、
第三 F子から、同女外二名が栃木信用金庫から提起された貸金返還請求事件の訴訟委任を受け、平成七年九月二九日、F子の意を受けたGから、右F子ら三名と同信用金庫との和解準備金の一部として、東京都港区西新橋二丁目五番二号所在の三菱銀行西新橋支店の自己名義の普通預金口座に一〇〇〇万円の振込を受け、さらに同日、栃木県宇都宮市小幡一丁目一番三八号所在の宇都宮地方裁判所構内において、Hを介して現金一〇〇〇万円を受領し、右合計二〇〇〇万円を右F子ら三名のために業務上預かり保管中、ほしいままに、前記B子らに対する和解金の支払に充てるため、同年一〇月四日、右二〇〇〇万円を東京都港区新橋一丁目一六番四号所在のあさひ銀行新橋支店の自己名義の普通預金口座に一時入金しておき、同月五日、同区新橋五丁目一二番一号所在のあさひ銀行神谷町支店において、あさひ銀行新橋支店の普通預金口座から右二〇〇〇万円に自己が他から調達した一〇〇〇万円を加えた合計三〇〇〇万円を同銀行本郷支店の前記B子らの訴訟代理人であるI名義の普通預金口座に振込送金し、もって横領した。
(証拠の標目)
《証拠略》
なお、被告人は、当公判廷において前示第二の事実にかかる詐欺の犯意を否認するので、この点につき判断するに、前掲各証拠によれば、以下の各事実を認めることができる。
一 被告人は、前記のとおり、平成五年七月にAらから所属弁護士会に対する懲戒の申立をなされ、同年一二月には、同人らとの間で、被告人による和解金の支払を条件にAらが右懲戒申立を取り下げること等を内容とする裁判上の和解を締結していた。したがって、被告人にとって、右和解金の支払は、自己の弁護士としての地位を保持するために極めて切実な問題であった。しかし、前示第二の犯行当時、被告人の経済状態は逼迫しており、和解金の支払期日を数日後に控えながら、支払の方策が全くたたない状況にあった。
二 被告人は、判示第二の犯行当時、既に、Eに対し、前記丙川タイヤ工業株式会社の株式を売却し、数時間後には当該株券を引き渡すことにしていたにもかかわらず、D子に対してその旨を申し伝えるどころか、逆に、判示のとおり、株券を受け取るのは株券の確認のためであり、買取りについては近々先方からはっきりした回答が来ることになっている旨虚偽の事実を申し向けてその引渡しを受けている。そして、Eからその代金を受け取るや、翌日には前記和解金の支払に充てている。
以上の各事実が認められるのであって、これらの諸事情に捜査段階における被告人の検察官に対する平成七年一一月三日付け供述調書(本文二一丁のもの)の内容を加味して考察すれば、判示第二の事実につき、被告人に詐欺の犯意があったことは明らかである。
したがって、被告人の主張は採用することができない。
(法令の適用)
被告人の判示第一の所為は包括して平成七年法律第九一号附則二条一項本文により同法による改正前の刑法二五三条に、判示第二の所為は右改正前の刑法二四六条一項に、判示第三の所為は右改正後の刑法二五三条にそれぞれ該当するが、以上は右附則二条二項前段により右改正後の刑法四五条前段の併合罪であるから、同法四七条本文、一〇条により犯情の最も重い判示第二の罪の刑に法定の加重をした刑期の範囲内で被告人を懲役四年に処し、同法二一条(右附則二条三項による)を適用して未決勾留日数一五〇日を右刑に算入することとする。
(量刑の理由)
本件は、弁護士であった被告人が、自己の借金返済資金等を捻出するために、依頼者から業務上預かり保管していた株券を依頼者に無断で譲渡担保に供して横領した事案(判示第一の事実)、預り金を費消したことで民事訴訟を提起され、裁判上の和解をしたものの和解金の支払に窮し、依頼者から株券を騙取した事案(判示第二の事実)、判示第二の事実と同様の動機により、受任事件の和解金に充てるために依頼者から業務上預かり保管していた金銭を着服横領した事案(判示第三の事実)である。
被告人は、自己の返済能力を十分考慮しないまま、土地や株式の値上がりをあてにして、安易に借金による不動産の購入や株式投資等を続け、その結果多額の負債を抱える状態になり、依頼者からの預り金などを一時流用して急場をしのいできたが、いよいよ借金の返済に窮し、また流用の被害に遭った者から民事訴訟を提起され、さらには所属弁護士会に対して懲戒の申立をされたり業務上横領等として告訴がなされる事態に立ち至るや、弁護士としての自己の地位を守るため、相次いで本件各犯行を敢行したもので、その動機には何ら酌量すべき点はない。そして、本件は、一件ごとについてこれをみれば、それぞれの差し迫った理由に基づいて敢行されたものとみる余地もあるが、被告人が当時、多額の負債を抱えて常日ごろから借金の返済に追われ、いわば自転車操業の状態に陥っていたことにかんがみると、決して偶発的な事案ではないというべきである。生じた被害は、現金については二〇〇〇万円、株券については、判示第一の犯行にかかる明治乳業株式会社のもの一万株がその後被害者Cに返還されているのでこれを除いたとしても、犯行当時の価格にして総額約一億四〇〇〇万円にも達する膨大なものである。依頼の趣旨に沿って正当に処理されるものと信じて被告人にこれらの財産を託したにもかかわらず、自己の利益実現に努めるはずの弁護士に裏切られ、甚大な被害を被った被害者らの精神的打撃は大きく、特にいまだ示談の成立していない被害者D子が被告人の厳重処罰を望んでいるのは当然のことであって、弁護士ひいては法曹全体に対する信頼を著しく失墜させた被告人の行為は厳しい非難に値する。
そうすると、被告人が事件後逮捕されるまでの間に被害者C及びD子に対して損害の一部を弁償していること、被害者F子及びCとの関係ではその後被害について分割弁済することでいずれも示談が成立し、F子に対しては掛け軸をとりあえず五〇〇万円と評価して引き渡し、Cに対しては支払の担保として絵画二点を差し入れるとの約束をしていること、右両名から被告人の重い処罰は望まない旨を嘆願する趣旨の書面が提出されていること、被告人には自己の犯した行為について現在では反省の状況も窺われること、所属の弁護士会から懲戒処分として退会命令を受け弁護士資格を喪失したこと、逮捕当時、マスコミ等により広く本件を報道されたことにより、被告人はもとより家族においても肩身の狭い思いをするなど相応の社会的制裁を受けていること、その他被告人の年齢、体調など被告人にとって有利に斟酌すべき事情を十分に考慮してみても、被告人を主文程度の実刑に処することはまことにやむを得ない。
よって、主文のとおり判決する。
別表
番号、担保差入年月日(ころ)、融資金額、担保株券の銘柄、株数、時価(相当)
一、平成五年二月一七日、二四〇〇万円、明治乳業株式会社、四万株、三三六八万円
二、平成五年二月一九日、四五〇万円、千代田化工建設株式会社、四〇〇〇株、六七二万円
三、平成五年三月二九日、九〇〇万円、千代田化工建設株式会社、六〇〇〇株、一〇三八万円
四、平成五年四月 七日、六〇〇万円、千代田化工建設株式会社、五〇〇〇株、九三〇万円
五、平成五年四月一九日、六〇〇万円、千代田化工建設株式会社、五〇〇〇株、九〇〇万円
時価合計六九〇八万円相当
(裁判長裁判官 若原正樹 裁判官 登石郁朗 裁判官 佐藤弘規)